2013年6月4日火曜日

圓吉夫先生ありがとうございました(運動生理学研究室一同)

  本学運動生理学研究室の名誉教授であり2003年に定年退職されるまで40年間あまりの長きに渡り日体大を支えてこられた圓吉夫先生が、先月5月27日午前4時半にご逝去されました。ここに心よりご冥福をお祈りするとともに、大変僭越ではありますが圓先生の思い出をご紹介したいと思います。ただし、圓先生の思い出は際限なく、ここで全てをご紹介できるものではありません。我々としては圓先生と接した多くの方がおそらく共通に強く印象に残っている先生の人となりをお伝えできればと思います。
  圓吉夫先生は鹿児島県徳之島のご出身です。徳之島希代の天才であり、まちがいなく徳之島をはじめとする鹿児島県の後輩の希望の星です。また圓先生ご自身も郷土愛に富んだ方でした。
圓吉夫先生とお話をしていて大変印象深いのは、郷土の英雄であり明治維新の礎をつくった西郷隆盛公を彷彿とさせる風貌です。とりわけその眼光の鋭さは何もかも見通しかつ妥協は許さないような圓先生の厳しい性格の表れのようでした。その一方でどのような相手であってもまたどのような状況であってもまずは相手の話を受け止める優しさあふれる高い包容力は圓先生と接したことのあるどなたでも深く印象に残るところだと思います。
  そのような人柄を背景として圓先生が最も重視してこられたのは、様々な人と分け隔てなくつながりかつその縁を大事にするという姿勢だったと感じます。
  多くの人は特に厳しい状況におかれたときほど誰かに話を聞いてもらいたいものだと思います。一方で特に“困った”状況にある場合、自分の話を聞いてもらうどころか自分など相手にもしてもらえないだろうと思うことが多いと思います。圓先生は特にそのような人に手を差し伸べ、熱心にかつ優しく話を聞く先生でした。単純に自分の話を受け止めてもらえたことによって救われた人間がどれほどの数いたことかと思います。またそういった人にとって圓先生がこの世にいてくれることでまた話を聞いてもらえる、また受け止めてもらえると思えることが(大げさではなく)生きるためにどれだけの励みになったことかと思います。
  具体的に事例を挙げることはここではできませんが、自分の夢を失いかけて深い迷いが生じたとき、圓先生からくさびをうつように人生の羅針盤を示してもらったという卒業生は一人や二人ではありません。困難な状況において適切なアドバイスができたのは圓先生の深い理解力・洞察力ゆえだと思います。
  圓先生は理想を追い求めた人でもあったと感じます。理想と現実の狭間を認識・格闘しながらも理想を忘れることなく、機会あるごとにそれを後進の学生や我々に語る信念の人でもあったと思います。そして信念を持ち続ける厳しさや強さを持っていた先生だと思います。
  若い武士たちを教え導き最期は彼らに命を託した西郷隆盛公は西南戦争でその命を落とします。現世に残された西郷隆盛公を慕う数多くの人たちが、西郷さんが亡くなった直後に起きた火星の大接近を称して“西郷星”が現れたとしてその死を悼んだとされます。圓吉夫先生もあるときは星、あるときは太陽になって我々を見守ってくださっていると思います。そして日体大運動生理学研究室を引きついだ我々としては、圓先生の思想を胸に今後の学生指導にあたって行きたいと思います。
(文責 中里)

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