2014年3月20日木曜日

年度末になりました(中里)

かなり久しぶりの記事投稿です。もちろん私の記事を待っている人がいるはずもないとは思いながらも、なぜか後ろめたい気持ちがします。

本年度(2013年度)は数多くの師を失いました。中でも5月には運動生理学研究室の名誉教授であり日体大を40年以上にわたり支え続けた圓吉夫先生、7月には本学大学院研究科長在職中であった体育教育学の巨人高橋健夫先生、そして今月本学大学院研究科長でありスポーツ医学、運動生理学の大家であった中野昭一先生 といったそれぞれの分野で大変なご功績を残された先生方がご逝去なされました。私は3人の先生方それぞれに大変お世話になり、かつ敬愛しておりましたので、ご逝去はまさに痛恨の極みでした。しかも立て続けに訃報が続く形になりましたので、なにか取り残されたような無力感にさいなまれたのも事実です。

運動生理学研究室を長年支えてこられた圓吉夫先生、高橋一衛先生が本学を去られて私が運動生理学研究室に一人だけ残ることが決まった時、今後この歴史のある研究室を外様の私がどうやって運営していけばいいのだろうと悩みました。しかし私は大変運のいいことに日体大卒業であり大変優秀な岡本先生と須永先生という同僚に恵まれることができました。しかも須永先生は運動生理学研究室出身であり、先生、高橋先生の教育を受けて巣立っていった多くの修了生にとっては間違いなく歴史を“つなぐ”ための精神的な支柱になったと思います。これらの優秀な先生方を輩出したのは日体大であり先生、高橋先生が支えてきた運動生理ゼミであったわけでして、結局私は日体大そして先生、高橋先生が築き上げてきた運動生理学研究室の財産に救われたと感じています。

高橋健夫先生とは大学院関係でまだ色々と一緒に進めてみたい試みがありました。緻密な計略をはかる能力と大勢を俯瞰する能力を併せ持った高橋先生でしたので、学ぶところも多くかつ本当に頼りにしていました。僭越ながら波長もあうようなところがあり、高橋先生のお言葉を借りれば大学院研究科長と大学院幹事として「ベストパートナー」であったと思います。高橋先生がお亡くなりになられた後、私は大学院関係の仕事以外に、大学執行部から地域貢献に関わる仕事を仰せつかりました。私は元来チームで仕事を進めていくスタイルがあまり得意ではありませんし、そもそもあまりそういった経験がありません。生来のあまり他者の話を聞かない傲慢な性質も災いしたかもしれません。しかし今回の案件は大規模でありはるかに私の能力を超えていました。もうこの仕事はできませんと執行部の先生方に申し入れしようと思ったときに、励ましながら一緒に仕事をしてくれる多くの先生方がいることに気が付きました。しかも後日その中の何人かの先生方は高橋健夫先生が日体大にお誘いされた方であったことを知るに至りました。まさに亡き高橋先生に背中を押された気分でした。

中野昭一先生は運動生理学の分野における第一人者です。私が思い出されるのは20017月に日体大健志台キャンパスで第9回運動生理学会が開催され、その時の学会長が中野昭一先生であったことです。その折学会運営をお手伝いしながら中野先生のもとに集まってくる蒼々たる門下生に感服したことを覚えています。中野先生は大変な著名な学者であったわけですが、一方で非常に気配りが細やかで私にも幾度となく声をかけてくださいました。日体大が運動生理学の分野でより一層活躍できるようにとの配慮で運動生理学会をひらいたことは想像に難くありませんし、その後優秀な大学院生を顕彰するために中野昭一学術奨励賞を創設し大学院生の意欲向上にも貢献してくださいました。あれから15年後の第23回運動生理学会(2016年度)は再び日体大世田谷キャンパスで開催されます。やはり中野先生と親交の深かった本学清田寛教授が会頭です。運動生理学研究室は清田先生の命を受けて事務局となり、本大会の成功に向けてまさに準備を始めた矢先での訃報でした。運動生理学会開催に向けては本学大学院出身の方々が数多く助けてくださることになっており、中野先生がその発展に大きく貢献された日体大大学院の財産だと感じています。

以上のように、偉大な先生方は去ってなお数年にわたって好影響を与え続けてくれるものであると実感するような出来事を目の当たりにしています。従いまして、自分は取り残されたなどとは身勝手であり、いまだにそのお力をお借りしているということをも気づかされました。素晴らしい先人たちの薫陶を受けかつその威光に未だ助けられていることを感謝するとともに、自分自身もより一層の研鑽を積む必要性をひしひしと感じています。


おわり

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